2012年5月24日木曜日

blogを振り返ってみる

Googleのbloggerもデザイン変更され「統計」なるもので、どの記事がいつ読まれたか分かるようになりやした。2007年の5月からblogを始め5年を経過した今日までのメモ。


メモ帳のバケツ(2007.5~2008.4)




メモ帳のバケ2(2008.5~2009.11)





メモ帳のバケツさん(2009.11~2010.12)





メモ帳のバケツだよ~ん(2011.1~2011.12)



ページビューの合算と全期間のページビュー履歴の数が一致しないのは???なのですが、
正直、使い方がよく分からんのです。。。

しかしまぁ、こんなものに拘ると書きたいことも書けなくなりますので、始めた当初の気持ち

誰にも読まれていない フフフ の精神で行きます。

いや実際、最初にコメントが付けられた時はマジ焦りました(^^;A
なんせ人様のblogの無断引用で自分のためのメモ書き用途としてのblogでしたから。

読んでいる人にどうやってこのblogを見つけたのかとオフ会の時に訊いたところ、Googleアラートを使ってたどり着いたみたいなんですね。正直、最初のblogから読まれていたとは露知らず真っ青。

「その後のメモ帳のバケツ」の次のタイトルは「メモ帳のバケツ録」と決めてたのですが、DTP復帰も難しい今となっては、記録するような内容もなくタイトル変更はなさそうです。



で、今日の内容は過去に読まれたベスト記事特集ですw

PDFの整理はPDF Explorerがお薦め かも 829 ページビュー
↑はNaverまとめの「大量すぎる自炊PDFを効率よく管理する7つの秘訣」に拾われたから

epubをPDFに変換して正規表現の予習 792 ページビュー
たぶん「せうぞー 正規表現」の検索で引っかかったんだろうと推測

気は長く 心はまるく 腹たてず の文字組み 477 ページビュー
こんなものがどうして???が正直な感想。見るだけ時間のムダとしか思えない。

PDFからのテキスト抽出 467 ページビュー
多分、文字化けで悩んでる人が検索してたどり着いたのだろう

見開きレイアウトのノド側の塗り足し 343 ページビュー
アナログを知ってる古い人しか分からないし、敢えてアナログに合わせるべきではないと思う。新しい葡萄酒は新しい皮袋に。と聖書でも言っている。

単数行コンポーザと段落コンポーザ 214 ページビュー
不可解な挙動さえなければ段落コンポーザをお薦めします。単数行コンポーザは個人的に美しいと思えないのです。

書体名を調べる 200 ページビュー
面倒な作業なだけに検索してきたのだろう


というか自薦記事と随分、違っている。後日、読み返して自薦記事をup予定。
思い出になりつつあるDTP

2012年5月15日火曜日

退色復元



教会50周年記念誌編集作業を進めてます。50周年は去年だったのですが、原稿が集まらずに今日まで引っ張ってます(^^;A それでもまだ全て集まってません。。。orz

作業して感心したことが家庭用プリンタのスキャナ機能のレベルアップ。
EPSONのEP803-AWを使用してますが、初めて使った退色復元が期待以上だったので記念age。

上が何もチェックを入れないで取り込んだ画像、下が「退色復元」にチェック入れて取り込んだ画像です。元の色が分かりませんけど、家庭用スキャナでここまで出来ればOKかな。

結構、使えそうな機能です。




2012年5月13日日曜日

2017年問題

警備の合間にGSでアルバイトしてます。GSといってもガソリンスタンドではなく、ガスステーションであります。LPガスや天然ガスをタクシーやバスに給油するお仕事。売り上げ割合はLPガス5に対して、天然ガスは1です。この数字のごとくガスステーションの生計はタクシーに大きく依存してます。

で、職場にある回覧資料にとんでも仰天がありました。それは2017年問題。

LPGタクシー2017年に生産中止
アルバイト先がなくなってしまう危機。

で、トヨタが撤退しても日産など他社メーカーがあるではないかとお思いですが、タクシーのLPガスボンベはトヨタの子会社が製造し、他社に供給してるんですね。その子会社も製造中止を表明してます。何より燃費効率からLPからハイブリッドに替えたのに他社がLPを使い続けるとは思えません。なんせLPがリッター5kmに対してハイブリッドは15kmなんですから。

ガスステーションが街中から消えるのは時間の問題なのですが、バスやトラックに給油する天然ガスはどうなるのか分かりません。どこで給油するんでしょうか?

ちなみにLPガスは石油の精製過程で生じる副産物。エネルギーを石油に依存してるかぎり、LPガスは発生します。精製工場の煙突から燃えている炎がLPガスです。
それを家庭用ガスやタクシーなどで使用していたのですが、大口のタクシー利用がなくなってしまいます。LPガスはどこで使用されるんですかね?

まぁ、こんなニュースを見て自分たちの生活がどうなるのか、どれだけリアルにイメージできるのかが個人の差になってくるんでしょうね。残念ながら自分にはイメージがつきませんです。

2012年5月8日火曜日

イメージトレーニング

タイトルに違和感があるのですが、あなた、リンク出来てますか?の感想というか補足。

いえ、どんな業種であろうと同じという事になります。事務職であろうと営業職であろうと技術職であろうと全ての職種に当てはまります。
仕事というのは常にリンクしているもの。
常に頭が整理されていて、尚且つ、仕事の流れがリンクされていなければなりません。 逆の言い方をするとリンクされていないという事は頭が整理されていないからです。実は、気が利く人と気が利かない人の差は仕事が関連付けられているか否かの違いなんです。これは仕事をする上でのキモ!!
結局これはイメージトレーニングの差なのでは?と思ったので少しばかり。

夏季オリンピックで4連覇を達成した選手は2人しかいない。
円盤投げのアル・オーターと走り幅跳びのカール・ルイス。
特筆すべきはアル・オーター。五輪の毎に記録を伸ばしている(参考:オリンピック4連覇
アル・オーターなる選手を知ったのはロス五輪の前。新聞の連載記事だったと思う。

当時の記憶を頼りに書くと円盤投げなるマイナースポーツはスポンサーがつかず、プロとしてやっていくことなぞ到底できない純粋なるアマチュアスポーツ。練習時間もままならない。
そんな環境の中で彼がどうやってオリンピック4連覇を成し遂げ、かつ記録を伸ばしていたのか?
それはイメージトレーニング。目標を五輪に絞り、五輪以外の大会は調整というか大した記録は残していない。通勤のバスの中でも頭の中でより遠くへ投げることをイメージしていたという。

警備の仕事は傍から見ると「立っているだけ」と思われがち。
まぁ、確かにそういった人もいます(^^;  給料メチャ安いしね
でもイメージトレーニングをしている人もいます。咄嗟の時、適切な対応ができるかどうかは資質もありますが、日頃これをやっているかどうかの違いでしょう。
自分もそれなりにイメージしてますが、想定外の事例が発生することがしばしば。
結局、どれだけ想定外の事例のイメージを広げられるかがなんでしょね。



2012年5月4日金曜日

神に用いられた名もない人

教会50周年記念誌の編集作業を進めている。記念誌の記事に出てこないがアダチさんのことをに書きとめておこう。

アダチさんは数年前に天に召された。教会の開拓者アメリカ人宣教師時代に在籍されていた方である。引越しを機に教会を離れたが、6年ほど前に教会に戻られた。だから自分との接点のある教会生活は2年あったかどうかである。そのためさほど親しく接していたわけではない。
けれどここにきてやたら思い出される。

日本の教会はほんの一部を除いて教会が成り立つかどうかのギリギリの人数が大半。そのためか信徒が他の教会に移ったりすると、教会員を獲った獲られたの感情が働く。牧師であってもだ(いや牧師だからからこそかも知れないが)。同じ教団の教会に移る場合でもそれが働く。

15年ほど前に近隣に韓国人宣教師の教会が開かれた。近所ということもあり、自分のいる教会も教会の開設に協力し様々な援助をし、教会員どうしの交流も生まれた。それなりにいい関係が続いていたのだが、教会員が近所ということもあり韓国人宣教師の早天祈祷会に参加したのを機に牧師同士の関係が悪化。そのためかその教会員の方はどちらの教会に行くこともできず、今は別な教会に転籍された。

まぁ、どこの教会の牧師も他の教会から信徒を引き抜こうと考えてはいないのだが、結果としてそうなってしまうことは間々ある。「誤解」という奴なのだが、それを解くには並々ならぬエネルギーを要する。というより解こうとすればするほど、より誤解が生ずるというのが世の常。

アダチさんはそんな時に韓国人宣教師の教会にやってきた。ご主人が亡くなったのを機にこの地に戻ってきたのである。礼拝に出席し、宣教師と雑談している中でアダチさんが以前いた教会が自分のいる教会であることが判明する。なんでアダチさんが自分の教会に戻って来なかったのかというと、アメリカ人宣教師時代から日本人牧師に替わる時に教会名が変わってしまったからである。

そして韓国人宣教師の方はアダチさんをこちらの教会に戻された。

それを機に牧師と韓国人宣教師の仲が回復し、以前以上に関係が深まり今日に至っている。

アダチさんはそんな経緯を知らずに礼拝に出席し、その後天に召された。
自分が神に用いられたということを知らずに。

存在する。ただそれだけ神に用いられる。それを証しされた方でもあった。