2012年9月13日木曜日

夢が現実になるのではなく記憶となる

ありきたりの「夢が現実になった」という話ではない。
夢を「夢」として認知できず、実際、自分が経験したかのように錯覚することである。

今、自分にその性癖があるのか考えている。

自分と同年齢の人は「大阪万博」を小学校高学年の頃にむかえたはずである。
で、当時話題となっていた「タイムカプセル」の話を覚えているだろうか?
全国的なブームとなり、多くの学校がタイムカプセルを埋めたと記憶している。
自分のいた学校でも例に漏れずタイムカプセルを埋めた(はずである)。

21世紀になったら掘り出すはずであった。

2000年に中学の同窓会があった。
当時、ブラック企業に転職したばかりの自分は休みがロクにとれず、参加を見送った。
不参加ながら同窓会ではタイムカプセルのことが話題になり、いつ掘り出すか決定するのかと思っていた。

参加した友人に同窓会の話をきいてみた。そしてタイムカプセルのことも。

「タイムカプセル? 何、それっ? 記憶にないなぁ」

で、友人は同級生数人に連絡を取り、タイムカプセルのことをきいたが皆、同様に覚えていない。
最近、ネットで中学時代の女子と連絡をとるようになり、タイムカプセルのことをきいた。
やはり覚えていない。。。

40年以上経って皆が忘れたのか? それとも自分の性癖なのか?

夢を現実にあった記憶として認識することがある。


以下は過去の事例

未信者の妻と結婚するにあたり韓国人宣教師たちから猛反対を受けたのが20年前。
妻との結婚を選び、母教会を去ったのだが、行く教会がない。
そこで学生時代からの腐れ縁(今は友人ではない)がいる教会にしばらく行くこととなった。
彼は自分が韓国で導かれた同時期に日本で導かれ信徒となった。
あろうことか腐れは今、その教会の牧師をしている(神をも畏れぬ所業!)。

しばらくの間、その教会に練馬から1時間かけて通っていた。
そのうち公団の抽選に当たり、入間市に引っ越すこととなった。
そこから通うには2時間近くかかる。さすがにそれは無理。
そこで腐れのいる教会の牧師先生にご推薦の教会はないかと相談に行った。
牧師先生は分厚い辞典のような本を取り出し、教会を選ぶ。
なぜか隣の市(狭山市)の教会を紹介してくれた。 
それに対して自分は
「入間市と狭山市は隣ですが、電車で行くとなると一度、所沢に出ければならないので不便なんです。別な教会を紹介してください」と答える。 
牧師「ホントはここがいいんだけどなぁ~」(ブツブツ) 
オレ、本をのぞきこむ。今、在籍している教会の名前が書いてあった。 
腐れ「すみませんね、先生。こいつ、我儘なんで勘弁してやってください」 
オレ、(おめぇの方が数段、我儘だろが、ボケッ!)と心の中で呟いた。
入間市に引っ越して散歩してるときに、今の教会を見つけた。直線距離にして100m離れてない。


自分が引っ越した先は入間市と狭山市のほぼ境。そして教会も境のところにあった。
教会名を見て(あぁ牧師先生が紹介してくれた教会だ)。そのまま教会員となった。

最初は牧師先生が紹介してくれた教会にきたのだと思っていた。しかし、よくよく思い出してみると詳細なやりとりの前後の記憶がない。というより腐れと一緒に相談にいってない。
夢の中のやりとりを自己の記憶としていたのだった。

タイムカプセルも詳細に覚えている。埋めた大体の場所さえも。
しかし同級生たちは皆、覚えていないという。この記憶は夢だったのか?

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